〜それでも私たちが知るべき、夕張の「悲しすぎる歴史」とは〜
かつて石炭産業で栄華を誇った北海道の夕張市。
今回この地を初めて訪れる機会がありました、当時の繁栄の様子や程度はあまり詳しくは知りませんが、今この地に残っている、郵便局、ホテル、スキー場、運動グラウンドなど、いわゆる、箱物施設を見ると、相当賑わっていたであろうことが伝わってきます。
ところが、今回訪れたのが11月で時期的にの事もあったのかもしれませんが、人気が無く、観光施設は軒並み冬季閉鎖中で、「観光で寂しすぎて2度と来たくない」と思った訳です。
ただこの街に少し興味を持ったことも事実で、どんな町だったのかを調べてみる事にしました。
この記事では、夕張市がたどった道のりを辿りながら、
なぜそうなったのか、そして今できることは何かを、考えてみたいと思います。
夕張とはどんな町だったのか
鉱脈の発見
今更お話するまでもありませんが、地表に石炭の鉱脈が露出している部分があり、これを発見したことで、ここ掘ったら石炭出てくるんじゃない?みたいな感じで始まったんだと思います。
予備知識なしでいきなり夕張市へ行ってしまった訳ですがコの夕張には2社の運営する炭鉱があって、最初に出来たのがいわゆる「北炭」、北海道炭鉱汽船が経営する炭鉱、今のスキー場があるエリアです。
その後、三菱が東部、いわゆる現在ダムがあるエリアですが「大夕張炭鉱」を作ります。
かつての炭鉱都市・夕張市の黄金時代
1950年代、夕張市の人口はおよそ12万人を数えました。
当時の日本は高度経済成長期。エネルギーの中心は「石炭」であり、
夕張はその中核を担っていたのです。
北炭(北海道炭礦汽船)や三菱鉱業といった大企業が採炭に関わり、
全国から若者が職を求めて移住しました。映画館、百貨店、飲食店……
夜まで明かりがともる活気あふれる町だったといいます。
今も、北炭エリアにはそのころの面影が多少残っている感じはします。
めちゃ儲かっていたんじゃないか?
今の中東とか、オイルマネーなどを見てみると、あの辺の石油を売ってる国々の金満さを見るにつけ、エネルギー燃料を採掘するお仕事は実は儲かるんなろうなと思う訳です。
きっと、石炭がエネルギー燃料として利用されていた時代いわゆるセ「石炭マネー」がこのエリア中にあふれていたのではないかと想像します。
ただ、石油みたいに掘ったら噴き出してくるものではなく、人間が穴を掘って、また穴の中に入って掘り出してくるとんでもない危険な作業が必要だった違いはあると思いますが、、。
北炭、三菱の終焉とエネルギー革命の波
しかし、時代は変わって、、。
1970年代のエネルギー政策の転換により、日本は石炭から石油へと舵を切ります。
海外の安い石炭に押され、国内炭鉱は次々と閉鎖。
可哀そうなのは、石炭が採れなくなったのではなく、掘っても売れなくなったという事でしょうか。
その当時、クオリティ.の高い石炭を掘る工夫など、様々な手を考えて実行していたみたいですが、石炭燃やして蒸気の力で動かすより、石油燃料を直接燃やして動かす内燃動力の流れは変わらず、石炭の商品としての価値が無くなってしまったという事ですね。
しかもその時期、1981年、北炭夕張新鉱のガス爆発事故で93名が亡くなり、
安全管理の不備と経営悪化が露見。北炭は1987年に解散。
三菱も撤退しました。これが「北炭、三菱の終焉」です。
その結果、夕張市の人口は2023年時点で7,300人以下にまで激減。
ピーク時の6%にも満たない水準です。
「手をこまねいていたわけでは無い」行政の奮闘
炭鉱閉山後、市は再生の道を模索しました。
テーマパーク「石炭の歴史村」や夕張映画祭、観光資源としての「夕張メロン」開発。
バブル期には第三セクターを活用し、多くの観光施設が建てられました。
また、映画のロケ地としての魅力にも注目が集まりました。
中でも1977年公開の名作『幸福の黄色いハンカチ』は、夕張の旧炭鉱住宅地で撮影され、
映画と夕張の名を全国に知らしめた存在です。
高倉健さん、倍賞千恵子さん、武田鉄矢さんなどが出演したこの作品は、
失意から再生へと向かう人間模様を描き、日本中に感動を与えました。
現在、その撮影に使われた「ロケ地記念館(幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば)」が保存され、
ファンの聖地ともなっています。
さらに、1999年公開の『鉄道員(ぽっぽや)』もまた夕張で撮影され、
こちらは旧・幌舞駅(現:JR幾寅駅)を舞台とした作品です。
2つの名作映画が、夕張という町の哀愁と優しさを象徴するように描かれているのです。
夕張の観光 行かない方が良い
この街を歩いて、特に元、北炭エリア、街から伝わってくる疲弊感、やる気の無さ、人気のなさ、いろいろ、、。
街に入ってみると、ここは志賀高原か苗場スキーかと思うくらい立派なかつ、ひと気のないスキー場が広がります、「私をスキーに連れて行って」では無いですが、だれがあのスキーブームが終わってしまうなんて想像が出来たでしょうか?
東部エリアにも、ひと気のない野球場・の他グラウンド施設、山の中に石炭が出たという事で人が集まって大きくなった街だけに、石炭以外の産業を開拓しようともがき苦しんだ形跡を感じます。
色々考えて、色々チャレンジしてみたが思ったようにならなかった、、、。
街から感じる閉塞感はそんな、精根尽き果てた感なんですよ、、、。
それでも観光するなら?――見どころと注意点
では、今、夕張を観光で訪れる意味はあるのでしょうか。
結論からいえば「あります」。
ただし、「華やかな観光地」ではなく、ずばり「精魂尽き果てた感」を体感する訪問です。
一生懸命やったけどなんかうまく行かなかった感を体験することが出来るんですよ、誤解のないように、私、今結構真面目な顔で言っています。いかにも人間的といいますか、そんなたそがれ感を是非感じてみてはどうでしょう。
メリット:
・街全体から閉塞感・絶望感・あきらめを感じ静かな時間が過ごせる
・努力が必ず実を結ぶわけでは無かった自分の人生を振り返ることが出来る
・エネルギー産業がもうかる仕事だという事とが分かる
・映画『幸福の黄色いハンカチ』『鉄道員』のロケ地巡りができる
デメリット:
・交通の便が悪く、車がないとアクセスしにくい
・廃墟化した施設が多く、観光施設は軒並み、平然と閉鎖中であることが多い
・現在のJR夕張駅はかつての夕張駅とは全く関係のない駅で行くとガソリン代の無駄
観光のおすすめとしては、夕張市石炭博物館の見学(私が行った時は見事に閉鎖中)や、旧北炭施設跡の散策。
そして「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」(熊に注意)やJR幾寅駅を訪ねる映画ロケ地巡り。
懐かしさと共に、かつての日本人の心に触れる時間が持てます。
道の駅「夕張メロード」では、特産の夕張メロンをはじめとした新鮮な野菜や地元加工品も楽しめます。(メロンアレルギーの為私は食えぬが)
それでも行って見ようと思った方へ
「見捨てる」でも「美化する」でもなく
夕張の歴史は、単なる過疎や失敗の物語ではありません。
そこには、かつての日本の成長を支えた労働者たちの努力と誇り、
そして、それを失った地域がどう生き直そうとしてきたのかという記録があります。
定年を迎えた私たちは、時間に余裕があります。
だからこそ、こうした地域を訪れ、その背景に思いを馳せることは、
きっと次の世代に何かを伝える「旅」になるのではないでしょうか。
観光地としての「楽しさ」だけでなく、
「生きるとは」「地域とは」「再生とは」――そうした問いに向き合える場所。
それが今の夕張市なのです。
悲しすぎる歴史を、誰かに語り継ぐということ
「夕張に観光で行ったら寂しすぎて2度と来たくない」
そう語る人の気持ちも、確かに理解できます。
でも、その“寂しさ”の中には、忘れてはいけない“重み”があります。
炭鉱で働いた人たちの命、過酷な労働、家族の営み、そして市の苦悩と努力――
それを「知っている世代」が減っていく今だからこそ、私たちが触れておくべきだと思うのです。
そして、高倉健さんの演じた人物たちがそうであったように、
何かを失ったあとでも人は再び立ち上がれる――そんな思いを、この町は静かに伝え続けています。
夕張を再び訪れるかどうかは、あなた次第です。
けれど、この記事が、もう一度夕張を「知る」きっかけになれば幸いです。
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