年金マウントという言葉を聞いたことがありますか?
偶然、あるネットでの質問コーナーに、こんな質問があるのが目に留まりました。
ゴルフでの昼食時に76歳で未だに働いているあまり親しくもない方に、突然、「俺、年金25万あるし、女房も同じ位もらっていて、車も2台あるし、あなたもそれぐらいあるんでしょ?」と突然言われて、何と答えて良いのかわかりませんでした。
私は60歳で定年退職し、2年間は再就職で働き、現在は年金の繰り上げ受給で細々ながらのんきな生活を楽しんでいます。
楽しいゴルフの場で、そんなに親しくもない、その日たまたま一緒にプレイしただけの人に、何故突然マウントされる様な事を言われたのか理解が出来ません。
働いていないことが癪に障ったのかもしれませんが、こんな場合どのように対応するのが適切なのか教えてください。
正直、驚きました、もし、あなたがこんな質問をされたら、どう回答してあげますか?
しかし、意外とこういった、年金マウントおじさんはいるのではないか?あるあるの話なのではないかと、、。
そこで、深堀してみる事にしました
最初に【まとめ】(急いでる人用)
- 年金マウントは「不安の裏返し」
- 比較せず、反応せず、笑って受け流す
- 人の暮らしに踏み込まない節度こそが品格
- 真の豊かさは「比べない自由」から生まれる
1.昼食時の一言が刺さる瞬間
ゴルフ場の昼食時、たまたま同じ組になった76歳の方が、唐突にこう言った。
「俺、年金25万あるし、女房も同じくらいもらってる。車も2台ある。あんたもそれくらいあるんでしょ?」
たまたま昼食を共にしただけの相手に、こんな個人情報をぶつけられたら、誰だって面食らいます。
一瞬、頭が真っ白になり、「何と答えればいいんだ…」と戸惑ったのも当然だと思います。
これは単なる「雑談」ではありません。
むしろ、無意識のうちに他人を見下ろし、自分の優位を誇示する“老後マウント”の一種です。
しかも、年金・車・夫婦の経済状況といった、極めてセンシティブな領域に踏み込むのですから、余計に質が悪い。
これが、この記事を読んだ時の私の第一印象でした。でもこんな人意外といるんじゃないかとも、、。くだらない事で無駄に傷つかないように、対策を考えておきましょう。
2.なぜ人は老後にマウントを取りたがるのか
若い頃なら、仕事の肩書き・年収・家の広さなどがマウントの材料でした。
ところが、定年を過ぎると「社会的地位」や「現役の力」は消えていきます。
残るのは、「年金額」「持ち家」「貯金」「健康」「子や孫」──つまり“老後のステータス”です。
人は何かしら“優位に立ちたい”という心理を持っています。
特に男性は「比較」や「競争」で自己価値を確認してきた生き物です。
それが定年後、職場を離れると「どこで自分の価値を示すか」がわからなくなる。
そして、つい「俺はこれだけある」と言ってしまう。
つまり、年金マウントとは、“老後のアイデンティティの揺らぎ”が生んだ心の叫びなのではないか?
彼らに悪意があるわけではなく、「まだ自分は負けていない」と自分に言い聞かせている」
本件の場合、自分の価値を示す機会のないストレスをどうでもよいと思っている人を相手に発散した、そういう事になります。
かなりタチが悪いと感じます。
3.マウントに反応しない、が最も賢い対応
では、こうした場面でどう対処すべきでしょうか。
結論から言えば、**「反応しない」「比較しない」**が最も賢明です。
相手の話に合わせて「うちは少ないですよ」と言ってしまうと、会話は“比較の泥沼”に突入します。
「そうなんですか、すごいですね」「よく頑張ってこられましたね」──これで充分です。
相手は承認欲求を満たしたくて話しています。
否定も競争もせず、軽く受け流すのが一番。
「マウントを取りたい人」は、こちらが反応しないと、だんだん勢いを失っていきます。
ポイントは、**“相手の土俵に上がらない”**こと。
年金額も、車の台数も、人生の豊かさとは比例しません。
そこをわかっている人は、静かに笑って受け流せるのです。
4.「働いている=勝ち」ではない
この76歳の方は、いまだ働いているとのこと。
それ自体は素晴らしいことです。体力も気力もある証拠でしょう。
しかし、そこに「働いていない人=怠け者」という発想が混じると、話は別です。
人生100年時代とは言っても、誰もが健康で働けるわけではない。
また、「働く」ことよりも、「自分らしい時間を過ごす」ことを重視する人もいます。
60歳で定年退職し、2年間再就職してから、繰り上げ受給でのんびり暮らしている。
それは立派な選択であり、何の引け目を感じる必要もない。
「働ける人」と「働かない選択をした人」は、単に“生き方の違い”であって、優劣ではないのです。
むしろ、老後に“比較軸”を持たずに生きている人の方が、精神的にはずっと豊かです。
5.年金額を誇る人ほど、心は不安定
興味深いのは、年金額を自慢する人ほど、実際には“お金への不安”が強いという事実です。
「俺は25万もらっている」と口にするのは、「大丈夫だ」と自分に言い聞かせている裏返し。
真に余裕のある人は、わざわざ自分の年金額など口にしません。
お金の話をする人ほど、実はお金に支配されている。
老後になってもその構図は変わらないのです。
「年金の多寡」で自分の価値を測っているうちは、心の平穏は訪れません。
むしろ、少ない年金でも、趣味を楽しみ、人間関係を穏やかに保っている人の方が、よほど幸せに見えます。
6.“品格”とは、語らないことにある
人間の品格は「何を話すか」よりも「何を話さないか」で決まる──
これは老後になって特に感じることです。
自分の資産・家族・健康・年金額を、ことさらに語らない。
それが、品格ある大人の姿です。
他人の前で“見せびらかすように語る”のは、自分の中にまだ整理できていない部分がある証拠。
たとえ善意でも、聞き手には「自慢」「圧」として伝わってしまいます。
老後の「余裕」とは、口数の少なさ、そして人の暮らしに踏み込まない節度に現れるのです。
7.あえて笑って受け流す“大人のユーモア”
こういう場面では、真っ向から返すよりも、ユーモアでかわすのも一つの手です。
たとえば、
「いやあ、うちは年金よりゴルフ代の方が多いですよ」
「年金よりも、昼飯がうまけりゃそれで十分ですよ」
などと軽く返せば、場の空気は和らぎ、相手の優越感も中和されます。
皮肉や嫌味を交えるのではなく、あくまで“笑い”で受ける。
それこそが、本物の大人の余裕です。
相手の“張り合い”を無効化しつつ、こちらが上手にコントロールしてしまう。
これは、定年後に身につけておきたい人間関係の知恵です。
人というのは、まず変わらない物、ずっと昔からそんな性格だったに違いありません。
8.「老後の勝ち負け」から自由になる
今の時代、SNSでも現実でも、「老後の勝ち負け」を語る人が増えました。
持ち家か賃貸か、年金額はいくらか、子どもは安定しているか──。
しかし、そんなものに一喜一憂していては、老後の時間がもったいない。
人生の最終ステージは、**「どれだけ自由に・穏やかに過ごせるか」**がすべてです。
お金も健康も大切ですが、それ以上に「比べない」「争わない」「笑っていられる」ことの方がずっと価値がある。
年金の金額は数字ですが、幸福の尺度は心です。
他人と比べた瞬間に、幸福は逃げていきます。
それを理解した人から、老後の真の豊かさが始まるのです。
9.結論:「老後マウント」は受け流していい
突然、年金や車の話を持ち出されたとき──
驚かなくていいし、気にする必要もありません。
それは相手の心の不安の表れであり、あなたの価値とは無関係です。
「そうですか、すごいですね」と笑って流し、食後のコーヒーをゆっくり味わえばいい。
その沈黙の中にこそ、品格と余裕がある。
他人がどんなに年金をもらおうと、自分の人生は自分のもの。
小さな幸せを感じる力こそが、老後の最高の財産です。
10.あとがき──“黙って笑う”という強さ
定年後は、「語る人」よりも「黙って笑う人」の方が強いです。
言葉で自分を飾る必要がないからです。
昼食時にマウントを取ってくる人がいても、心の中でそっと思えばいい。
「この人も、寂しいのかもしれないな」と。
そう思えるあなたの方が、ずっと成熟しています。
老後の人間関係は、勝ち負けではなく、“余裕のある方が勝ち”。
静かに笑って受け流す、その一瞬の沈黙に、人生の品格が宿るのです。
11. 質問者への私の回答
「最後に、あの“年金マウントおじさん”に一言だけ言わせてください。」
質問者さんに変わってその年金マウントおじさんに私が一言申し上げます
「あなたの年金額、誰も興味ありません。
人が羨むのは“金額”じゃなくて、“品格”です。
本当に余裕のある人は、黙ってコーヒーを飲みながら笑っています。
その沈黙こそが、あなたに一番足りない“贅沢”ですよ。」


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